オーディションまで3日程しかないにもかかわらず、結構な長台詞を含む二役分の課題が送られてきた。「あきらめようかな?」とちょっと弱気になったが、思い直してがんばった。がんばったのだけれど、台詞があまりに美しく、「がんばった」ではなく、美味しい料理をかきこむように時間をつぎこんだ結果になった。簡単な内容ではない、どちらかと言えば難解なものだ。だけど分かる。分かりやすいのだ。そして美しい。美しいのに、癖があり、役者が演じるべき課題もたくさん含んでいる。こんな台詞にはなかなかお目にかかれない。正直なところ、役者の作業として「台詞覚え」は最も時間のかかる苦痛が伴う作業だ。「台詞を覚える」体力と気力を失ってやめていく俳優もかなりいるのではないかと思うくらい。そんな時、こういう戯曲に出会うと本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。
オーディションも素晴らしかった。
フリーの自分は受けているオーディションの数もトップレベルだと思っているのだけれど、その自分が見たことのない俳優ばかりで、しかも力がある。課題の台詞の良さもあって、見応えのあるオーディションだった。最終まで一緒に残った俳優と帰りの道すがら、「どうせやるならこういう芝居に出たいっすよねえ」と話しながら帰る。その俳優とも台詞の良さについて盛り上がった。また現場で再会できることを願う。しかし、あの台詞は誰が書いたのだろうか。オリジナルであそこまで丁寧に台詞を書ける人がいるとは。しかもあのテーマで。詳しく聞くことは出来なかったけれど、本当に気になる。シェイクスピアの時代から、舞台における第一の要素は台詞の美しさである。台詞がしっかりしていて、それを具現化できる俳優がいれば、あとは何もいらないのだ。演じる場所は青空の下で十分だ。
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