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ラベル 読書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2024年4月16日火曜日

ポテトチップブックス

立石駅前通りをまっすぐ行ったところにポテトチップブックスという看板を見つけて入ってみる。 

すっきりした空間にそんなに多くない本が。セレクトがすごい。
手に取った数冊に心が揺さぶられる。
本屋って本のことを教えてくれる場所なのだ。
 
「みんなの立石物語」を買う。 
帰って読みながら泣く。

2024年4月6日土曜日

走りながら読む

撮影もひと段落したので溜まった本を一気に読む。
特に哲学の本は水を一気に飲み干すように何も考えずペース速めに読み切っていく。
何か引っかかったら集中して読んで、何も引っかからなくても無意識のどこかに必ず何かが残ってるからとにかく速く読む。
寺山修司の走りながら読む思想。理解を求めずに。

2023年10月19日木曜日

11月7日『村山知義『死んだ海』三部作を読む!』参加!


『日本の戯曲研修セミナー@オンライン2023 村山知義『死んだ海』三部作を読む!』にディスカッション参加!

ゲストトークやレクチャーもあります。
ZOOMでのオンライン視聴は参加料金1000円です!
濃い時間になると思います。
ご興味ありましたらぜひご参加下さい。

参加・チケットご予約⇨https://jdagikyoku2023murayama.peatix.com

2023年1月7日土曜日

アイデンティティ

  
『現代演劇Vol.21 特集トニー賞・ピューリッツァー賞』

以前出演した好きな戯曲のひとつであるサム・シェパードの『埋められた子供』と先日DVDを買って観た『エンジェルス・イン・アメリカ』がピューリッツァー賞を受賞していたので他にどんな作品があるのだろうかとこの本を借りてみた。なんとなく読みはじめたら面白くて一気に読んだ。

受賞作に共通するのは、家族、ジェンダー、人種、差別、貧困、病気、犯罪など人種の坩堝であるアメリカならではのアイデンティティを中心にした様々な問題。

日本人として日本で生きていたらなかなかここまで分かりやすく感じることが出来ない問題ではあるけれど、ものをつくるときには決して避けては通れない問題で、より感性を研ぎ澄ませて敏感に感じていく必要がある。

まずは自分が体験したことから拾い集めていこう。
まだ映画にしていない人生の苦しみはたくさんある。
自分の体験こそが普遍的なものに到達する最初の扉であり、同時にそれこそがこの社会へ切りこむための唯一の武器となる。

椿説弓張月



三島由紀夫の戯曲『椿説弓張月』を読む。

11月に訪れた伊豆下田のペンションの近くにあった“山ん崎”という海辺の大きな岩場がその劇の一幕の舞台になっていることを知ったからだ。確かに舞台図に描かれている。

この劇の原作を書いたのは曲亭馬琴。
今、最も気になって読んでいる江戸時代の物書きだ。
その膨大な著作物を死ぬまでに何冊読めるだろう。

紙と木の文化である日本人にはヨーロッパのように建築で何百年も前の先祖の魂や文化に触れることが出来ない。残っている歴史的な建造物も、一部の非常に限られた地域の観光地にまばらに残るだけで、現代の生活に密接につながるものではない。その中で残る先人の精神はこうして紙に書かれた文字の中にしかない。それが残されていることは本当に奇跡だと思う。印刷が発明される前に書き写すことで残してきてくれた人たちに心から感謝する。

日本をよく識ることで、これまで大好きで読んできたヨーロッパの文学や文化芸術を比較しながらより相対的に識っていけるのではないかと昨年末に気付いた。日本人なのに日本のことを知らなすぎる。

即、金になったり作品につながったりとかいう考えではなく、ライフワークとして日本人の文化をより深く追求していくこと。それをこれから続けていく。残されている日本の古い文章はとりあえずすべて読破する。

それが残された人生のひとつの仕事。

2023年1月4日水曜日

長崎次郎書店

 
熊本市街の
長崎次郎書店へ。
ものすごく雰囲気のよい本屋さんで本のセレクトも無駄がなく美しい。新刊のお店でもこんなによい品揃えのお店がつくれるんやなあ。素晴らしいです。
2階のカフェも珈琲が美味しく、ゆっくり本が読めます。

2022年12月25日日曜日

伊藤野枝と大杉栄


伊藤野枝の文章が素晴らしくよかった。
続いて大杉栄へ。

常に人の眼を気にして自分の内に自らの眼を持つことなくウヨウヨと群れるばかりの日本人。その群れの息苦しさの中で自由を求めて駆け抜けようとした人たちがいた。

けれどそのふたりは殺された。

人がどう思うかではない。
自分がどう生きたいか、それだけだ。
一度限りの人生、やりきるしかない。


思想に自由あれ。
しかもまた行為にも自由あれ。
そしてさらにまた動機にも自由あれ。

2022年12月13日火曜日

100冊目!

   

今年読んだ本、100冊目。
鎌田實さんの『がんばらない』。

お医者さんと患者さんとその家族との命を通した心の交流。命の終わりが見えてきたらこんな風に最期の日々を過ごしたい。何度も涙して心が洗われました。

今年読んで特に印象に残った本は
『カンタベリー物語』チョーサー
『ギスリのサガ』アイスランド伝説
『芸術と政治をめぐる対話』ミヒャエル・エンデ/ヨーゼフ・ボイス
『トロイア戦争全史』松田治
『年収90万円で東京ハッピーライフ』大原扁理
『ヴォルテール回想録』ヴォルテール
『植物の生の哲学』エマヌエーレ・コッチャ
『希望の歴史 上・下』ルトガー・ブレグマン
『シモーヌ・ヴュイユ詩集』シモーヌ・ヴュイユ

来年は何冊読めるだろう。
日本の古典文学や、古いものから新しいものまでの哲学書、女性の作家や詩人の作品などに興味があるので、そこから拡げていきたい。

あなたが今年読んで一番良かった本は何ですか?
内容と共にその時感じた感覚をもう一度思い出して味わってみて下さい。優れた文学は感覚に作用して内側から読んだ人の身体にまで影響を与えてくれます。

2022年12月9日金曜日

希望の歴史



ルトガー・ブレグマン『希望の歴史』
上下巻に渡って性悪説がどのようにして造られてきたのかを解き明かす。本当の現実主義で眺めると地球の歴史を紡いできたのは人間の善の部分なのだということに気付かせてくれます。

今年のヨーロッパ文芸フェスティバルにルトガー・ブレグマンさんが来日して斎藤幸平さんと語り合う映像がYouTubeで公開されています。


2021年12月16日木曜日

新たなインサイドを築くこと。 〜コリン・ウィルソン『アウトサイダー』より〜


コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を読みながら常に考えていたことは「アウトサイダー」に対する「インサイダー」の存在についてでした。まずアウトサイダーが存在するためにはインサイダーの存在が必要不可欠で、それも圧倒的多数のインサイダーが存在しなければアウトサイダーはアウトサイダーたり得ません。アウトサイダーが資質の問題だったとしても、そのアウトサイダーの数が圧倒的多数であればはじき出されるのはインサイダーの方であり、はじき出された時点で今度はそのインサイダーがアウトサイダーとなり、はじき出したアウトサイダーたちが今度はインサイダーとなります。インサイダーとアウトサイダーはひとつのインサイドを奪い合うことで入れ替わることが可能なのです。過去の革命の歴史はいつもそうでした。そこでもっとも重要なことはインサイダーとアウトサイダーが存在するためにはまずその前提としてインサイドが必要だということです。そしてその内と外を分ける壁が厚ければ厚いほど、強固であれば強固であるほど、その境目ははっきりと明確になってきます。しかし、現代においてそのインサイドとアウトサイドを分ける壁というものは果たして存在するのでしょうか。「自分はインサイダーである」とはっきり自覚できる明確なラインというものは存在するのでしょうか。この『アウトサイダー』が書かれた1956年当時はまだその境目が存在していたのかも知れません。しかし現代はもうその壁が消滅してしまっていて、いわばほとんどの人間が「アウトサイダー」として荒野に投げ出されている状態なのです。先日見たグランマ・モーゼスの絵にはかつてのインサイダーたちが生き生きと描かれていました。共同で農作業を営み、みんなで集まってキルトや蝋燭を手作りしてそれらを分け合い、その仕事だけで一日が過ぎていった時代。恐らく当時はそのような共同体の催しに参加するかしないかで明確にインサイダーとアウトサイダーが分けられたはずです。共同体に参加しなければ生きていくことが困難になるという意味でアウトサイダーの数は少なかったはずですし、その数少ないアウトサイダーたちが迫害されたり困難にぶつかる様も容易に想像できます。そこまでしてアウトサイダーとして存在しなければならなかったアウトサイダーたちにはそれ相応の理由と引き受けた運命というものがあったはずです。しかしそこにあったインサイダーとアウトサイダーの間の明確な壁は、19世紀の産業革命によって変化させられた社会の中でどんどん薄く低くなっていき、今や消滅してしまったのです。産業革命の大量生産によってそれまで共同体で力を合わせて生産していた生活必需品はほとんどすべて機械の力で生産されるようになりました。そこでまず共同体の必要性がなくなり、アウトサイダーであってもその品物を買うことさえできれば簡単に生活できるようになったのです。労働力は生産される物ではなくお金に変換されるようになり、物を生産しない者もお金を使ってその物を手に入れられるようになったのです。そしてかつてのアウトサイダーたちは大きな自由を手に入れました。そして存在価値を失ったインサイドからインサイダーたちがどんどん流出していき、壁はどんどん薄く低くなりいまやその存在の痕跡を見つけることすら困難です。グランマ・モーゼスは言っていました。共同体の中で必要とされる仕事をしているだけでいつの間にか四季がうつろって時が過ぎ、貧しくて時には大変なこともあるけれど、みんなと協力しあってその困難を乗り越え、いつもただそこにいるだけで幸せだったと。現代には恐らくこのようなインサイダー的な幸福というものは存在しないのではないでしょうか。すでにすべての人間が荒野に、アウトサイドに投げ出されているのですから。エデンの園から追放されたアダムとイブのように。ひょっとするともう神さえインサイドにはにいないのかも知れません。人々を区別するのは手に入れるお金の量だけであり、しかもそのお金が安心なインサイドを築いてくれるわけではないのです。人間はかつてのインサイドの感覚を求めながら、地球上すべてを廻り、宇宙を廻り、精神世界を廻り、それでも見つからないインサイドの感覚を求めて右往左往、漂流し続けています。どれだけお金を手に入れて立派な家を手に入れ、分厚い壁でインサイドを築いてみても、やはりそこはアウトサイド。インサイドがもはや存在しない永遠のアウトサイドに自分たちは生きているのです。その永遠のアウトサイドの中でどのようにしてアウトサイダーがアウトサイダーとして屹立するのか。むしろ新たなインサイドを築くことがこれからのアウトサイダーの仕事なのかも知れません。

2021年12月1日水曜日

マックス・フリッシュ『アテネに死す』



 先日のラジオ配信『バストリオの間』でも紹介したマックス・フリッシュの『アテネに死す』。

バストリオの間⇨https://youtu.be/yrTPgFERuAM

序盤はずっと中南米でいつアテネに行くのかと思ってましたが旅しながらちゃんとアテネへ。語り口にぐいぐい引き込まれて一気に読みました。サム・シェパードの語り口に共通するかっこよさがあります。

最近海外の小説を読みながら気になるのは翻訳者の技術についてです。作者の原文の文体は翻訳者の翻訳の文体にどのような影響を与えているのか。結局、自分が読むのは翻訳された日本語の文章を読んでいるので、自分が感じている文体のかっこよさはどこから来ているのだろうかと、翻訳に強い興味を持っています。

2021年11月24日水曜日

エミリ・ディキンスン詩集


夢中で読みました。

最初の方はそうでもなかったのだけれど、まっすぐな言葉にどんどん引き込まれていきました。山田かまちの言葉に通じるものがあります。後半になるにつれ、生や死について書かれたその静かな情熱に支えられた強い叫びが胸に突き刺さってきます。
夜空に散りばめられたたくさんの星を発見した感動で叫びだしてしまいたくなる詩です。

ヒギンスンという人がエミリに初めて会ったときに「神経をこれほど消耗させる人と同席したのは初めてだ」と妻にその対面の様子を語ったそうです。いったいどんな人だったのだろう。詩を通して人間に興味が湧いてきます。1830年生まれ、19世紀の人です。ウイリアム・モリスもそうだけど19世紀の人や文化が気になります。産業革命の影響を受けながらそれ以前の素朴な人間の暮らしをどこかに大切に残している芸術家たち。彼ら彼女らの芸術にはそれ以降大量生産の何にのまれて失われていく手仕事の本当の豊かさが残っている気がします。

エミリは詩の中で大切なものをお金に変えないようにという意味の言葉を書いています。生きるため、生活するために今あるものをすべて売ってしまおうとしてしまうのではなく、本当に大切なものは命を賭けて守り抜かなければいけないなと心から思います。

美は —— 生み出されるのではなく —— それはあるのです ——
追いかけたら、なくなり ——
追いかけなければ、あり続ける ——
エミリ・ディキンスン

2021年11月20日土曜日

お久しぶりです!

 こちらのブログに書かなくなってからしばらく経ちましたが、再び書き始めようかと思います。Twitterで主な情報は流しているのですが、いかんせん文字数に制限があるのと古い情報をたどることが困難で流れていってしまうので、大切なことはたどりやすいブログの方がいいかなと最近ずっと思っていました。気付いたら、「あ、また書き始めたな」と思って気軽に読んでいただければと思います。

最近は読書にはまっています。電車の中や空いた時間になるべく何かを読むようにしています。この世にどれだけの本があって死ぬまでにどれだけの本が読めるだろうと改めて考えてます。哲学や芸術やビジネス書やノンフィクションなどジャンルは問わずに気になった本はなんでも読みながらその中にさらに気になる人や作家が出てきたらすぐに検索して借りて読みます。

最近面白かったのは、マーガレット・アトウッド『オリクスとクレイク』、久住邦晴『奇跡の本屋をつくりたい』、中村 哲×澤地久枝『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』、コリン・ウィルソン『アウトサイダー』、ヴィム・ヴェンダース『映像の論理』、ウィリアム・モリス『世界のかなたの森』、シルヴィア・プラス『シルヴィア・プラス詩集』などなど。

マーガレット・アトウッドやシルヴィア・プラス、そして今読んでいるキャロル・エムシュウィラーらの女性の小説や詩の文体に深い興味が出てきて、シルヴィア・プラスが影響を受けたというエミリ・ディキンソンという19世紀の天才詩人の書いたものをこれから読みはじめようとしています。ウィリアム・モリスもデザインの分野でもともとすごく好きな人で前に銀座で開催されていたブックデザイン展に行ったときに展示されていた平野甲賀さんによるとても美しいブックデザインの『ウィリアム・モリス・コレクション』という本のシリーズが気になっていて、それをようやく読み始めましたがこれがまた素晴らしいです。モリスが古い時代の言葉や物語を意識して書いた小説が小野二郎さんの翻訳でこちらも美しい日本語で表現されていて、もはや時代を超越した普遍的な物語として読んでいるだけで心が豊かになっていきます。

二十代の頃、福岡で活動しながら当時は今以上に映画も演劇もアートも何もかもいいものは東京でしか見られない状況だったので、その中でどうやっていいものに触れていけばいいのだろうと考えたときに思いついたのが本でした。多少発行が遅れたとしても東京では読めるけど福岡では読めない本というものは映画や演劇に比べたら少ないだろうと考えて、映画も演劇も芸術もとにかく本を読んでどんなことをやっていたのだろうと空想し続けていました。空想でしかないので実物とはどこかずれていて、でもそのずれが自分のオリジナルになりました。今はネットのおかげで昔ほど情報にずれがなくなってきているのかも知れませんが、逆にずれにくいというのはものづくりにとって面白みが欠けることなのかも知れません。

本は開いていても読まない限りその世界は存在しません。読んだとしても言葉の捉え方で読者の中に生まれるものがまったく変わってきます。存在しているものを眺めていることはできなくて、どうしても読まなくてはなりませんし、読んだ言葉を自分の内面で変換し続けなければ読んだものを受け取ることができません。時にはそれが苦痛であることもありますが、そこを通り越さない限りは読書の喜びに到達することはできません。

生きることは読むことだという覚悟のもと、死ぬまでにあと何冊読めるか分かりませんがとにかく読もうと思います。

Twitterじゃこんなに書けないから、久々に書くと楽しいな。一年ぶりの投稿です。

2019年12月23日月曜日

生きのびるための建築


石山修武さんの『生きのびるための建築』を読みました。
面白いのでぜひおすすすめします。
職業とか関係なく、ぜひ読んでみて下さい。

世界を構築するいろんな要素がありますが、建築はその中でも最も重要な要素だと考えています。街の姿がそこに住む人たちの姿や考え方まで決めてしまうのではないかとパリに初めて行った時に強く考えました。パリに着ていった水色のダウンジャケットがどうしても街並に合っていないことが苦しくなって、大急ぎで蚤の市で古い緑のコートとハットを買いました。そして今度は東京に帰ってきた時にそのコートとハットを身につけるとなんだか大袈裟な感じがして着なくなってしまいました。

スペインから帰ってきた時も、スペイン人の陽気な暮らしぶりを日本でも実践しようと張り切っていたのですが、成田から東京に向かう電車の向こうに広がるプレハブのような建築群が見えてきた時に「ああ、これは難しいかもしれない」と不安になったのを思い出します。

日本で新しい建築を見ても正直「お金がないんだろうなあ」という印象しか感じません。
当たり障りのない省コスト優先で考えられた遊びのないフォルム。
歴史や伝統から何の考えもなく遊離したフワフワとした軽い存在感。
数年時間が経過すれば味わいではなく薄汚れて見えてしまうだけの安っぽい素材。
そこに住む人がどうなってしまうのか、その建物が並ぶ街がどうなってしまうのか、心底考えている建築家は恐らくいません。

建築が先なのか人間が先なのかはいつも考えている大きなテーマですが、元気のいい街は建築も元気です。最先端の技術で時代の先をいく建築を生み出し、時代の空気を先導していくのです。上海にいった時も遠くに見える個性的なビルの姿にワクワクしました。今、気になっている建築の街は台湾です。

来年、時間ができたら台湾に建築を見に行きます。
ぜひ街のことを、建築のことを、考えてみて下さい。
建築は街の、世界の骨格です。

2019年12月12日木曜日

建築家なしの建築

『建築家なしの建築』
B・ルドフスキー 著 渡辺武信 訳
建築はそこに住む人々のもの見方、生き方、思想、哲学を定義すると常々考えている。ここで紹介されている所謂「建築家」ではない人々が自らの手で築いた建築物はどこまでも拙く美しい。もちろん人がいるからこそ建築物が生まれてくるのではあるが、雨後の筍や茸のように自然発生したかのような建築物の姿を見ていると、人と建物、果たしてどちらが先なのだろうかという考えも浮かんでくる。人が建築物を造り、建築物が人を造る。建築が人に与える影響をもっと真剣に見つめ直した方がよいのではないだろうか。

2018年11月19日月曜日

発情装置


上野千鶴子『発情装置』 

『男に女性学をやってもらおうとは思わない。男性がジェンダー・スタディズをやるのは歓迎だが、それはあくまで「当事者として」、自分自身の男性性を問い直すかたちでやってもらいたい、と思っている』

 『フェミニズムは闘う学問』 

まったく同感です。ジェンダーとは誰かを攻撃するための道具ではなく、誰かをあまやかすための道具でもなく、まず自分自身のバランスを取り戻すために考えるべき哲学。

それは生まれた場所や時代によって大きく作用されていて、自分が育った時代と現代とでは隔世の感があります。自分の中にも否定され歪められたものがあって、そのバランスを取り戻すことは容易ではないにしても、考え続けていきたいテーマのひとつです。

その歪みが社会や時代、政治、経済、学問、人種、生き方、すべての問題に影響している気がしています。

2018年10月16日火曜日

アップデートするジェンダー〜性差のいままでとこれから

ジュンク堂池袋本店で10/16まで開催中の『アップデートするジェンダー〜性差のいままでとこれから』フェアへ。子供の頃から「女の◯◯のようなやつだ」「男のクセに◯◯するな」などという言葉を大人から普通に浴びせられてきた自分にとって、今はその時感じていた疑問にもう一度向き合えるいい時代。


差別が差別として認識されていなかった時代に生まれ育って、その差別が無意識に刷り込まれてきた自分にとって、現代は大変な時代でもあります。見つけたこの本がとても面白く、同時にとても怖かったです。

2018年5月10日木曜日

オスカー・ワイルドのコント集 白鳥の歌

「オスカー・ワイルドのコント集 白鳥の歌」
  編集:ギヨ・ド・セ 翻訳:堀江珠喜
「サロメ」で有名なオスカー・ワイルドが、サロンなどで取りまきの友人・知人に語った小話(コント)の聞き書きを編者が収集してまとめたもの。第一部17編、第二部25編、第三部39編と81編の小話が収められています。ワイルドの小話を聞いた様々な人たちによる聞き書きなので、書いたのはワイルド本人ではありませんが、まずこれだけの話をサロンでちょっと披露できるだけの教養と知識の高さに驚いてしまいます。感銘を受けた聴衆がわざわざ書き残しておくぐらいの質の高い小話を、今となってはどのように表現したのかは分かりませんが、ユーモアを発揮しながら面白おかしく語ったのだと思います。こうした知識が土台にあって、ワイルドの文学世界があるのだなと改めてワイルドへの尊敬が深まりました。また、こうした知識や教養を下地にした当時の社交の楽しみ方は、やはり相当に洗練されたものがあったのだなと、この本から当時の雰囲気を楽しむことができます。いつも手元に置いておきたい一冊です。

The public is wonderfully tolerant. It forgives everything except genius.

大衆とはすばらしく寛容だ。天才以外のすべてを許す。

オスカー・ワイルド

2018年4月24日火曜日

政治はエクスペリメンスか、ストーリーか?

寺山修司の『政治にエクスペリエンスというルビをふるか、ストーリーというルビをふるかの二者択一』という言葉は20年前に読んだ時より今の方がしっくりくる。 
『演劇で何ができるか?』か。
寺山さんの思想はこれからの時代にまた力を持ちそうな予感。

2018年4月17日火曜日

何かを愛して求めている者には


吉増剛造著「詩をポケットに 愛する詩人たちへの旅」

詩人と詩についての評論を、生粋の詩人が詩の言葉で語る。
その言葉は速度の緩急をつけながら、時に立ち止まる。
追われたり、追いかけたり、見失って途方にくれたり。
詩人吉増剛造との果てしない追っかけっこだ。
果てしない迷宮にひとりぼっちにされて泣きそうになっていると、
またふと隣に座って笑っていたりする。
そしてまた手を取って踊りだす。
これはデュオだ。
評論とは相手に何かを教えて説得することではない。
相手の手をとって踊ることだ。
答えの出ない無限の海の底で、一緒に踊ることだ。
何かを愛して求めている者には。