無事に終演いたしました。
ご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。
何より自分にとって素晴らしい作品でした。
自分が抱えている悲しい別れの記憶を、美しく昇華してくれる役でした。
自分だけが特別なものだと思って抱えている苦しい記憶は、
実は誰しもが、いや、それよりももっと重く辛い記憶を抱えて、
それでも毎日をなんとか生きている人もたくさんたくさんいるのだと、
この歳になって本当に実感できるようになってきました。
そうした人たちの心の暗闇を、自分の芝居で少しでも癒せることができたなら、
それがとてもうれしいことだと思います。
それが芝居で生きてきた、
生きることしかできなかった、
自分のできるたったひとつの仕事だと思うからです。
劇場の大きさなんて関係ありません。
100万円の立派な鉢植えの花と、
道端に咲いている小さな名前も知らないような花と、
どっちが美しいかなんて、誰にも決めることはできません。
むしろその美しさに気づく人の心が美しいのであって、
花そのものは、花そのものでしかない、そう思います。
そう思って、この嘘ごとでできている芝居の世界で、
言葉・動き・存在のひとつひとつすべて、
自分の中の真実だけで描いて、それをお客さんに届けたい。
こうやって書いていると、戯曲の中のレーニの言葉と重なります。
ずいぶんと彼に影響を受けましたが、
でもそれは自分も初めから考えていたこと。
似た者同士がひかれあって出会った、そんな幸福な役との出会いでした。
世界はどんどんきな臭くなって、やばい状態になっています。
自分は本当に、この危機感とどう付き合っていけばいいのか、分かりません。
他の国に脱出するにしても、そこにも問題が必ずあり、逃げ場はありません。
つくることでメッセージを発していくことしかできない状況です。
自分はもう今の年齢から考えて、日本が参戦して徴兵をする頃には、
自分自身が兵隊にとられることはないでしょう。
今の子供たちは今のままでは確実に戦争を体験することになると思います。
日本が起こす戦争を。このままでは確実に。
自分はその状況を手をこまねいて眺めているのは嫌です。
戦争は人の心を荒廃させます。
その影響は100年単位で計り知れない損失をもたらします。
荒廃した心で、また戦争をはじめます。
止めなくてはいけません。
まだ第二次大戦からですら、誰も立ち直った人はいないのです。
モードリス・エクスタインズという人が書いた、
『春の祭典』という本を読んでいます。
第一次大戦から第二次大戦にいたる人間の狂気を、
芸術と哲学を通して、
主に当時のドイツ人の視点から描いている素晴らしい本です。
その頃のドイツ人の状況と、今の日本人は似ています。
いや、もっと悪い状況だと思います。
そこに芸術と哲学すらもないから。
そのことに気づいている人はたくさんいます。
なのになぜ何も変わらないのか、
国を挙げての暴虐が国民を打ちのめしているのに、
誰も何も痛みを感じていないのか、とても、怖いぐらいに不思議です。
明るく、楽しく、日々は生きていこうと思ってます。
でも無感覚に生きることだけは嫌です。
今日も『ゆうめい』さんのアフタートークに行きます。
今週末は福岡で3つの上映会があります。
来月は東京で上映会やりますし、ワークショップで映画撮ります。
そのひとつひとつにしっかりとメッセージをこめていきます。
深刻そうな顔して政治的な活動する気は一切ないですけど。
あくまで芸術。それでどこまで抵抗できるか。
昭和にあって平成でなくなったもの。
それは『情』と『恥』。
世界中がジャイアンだらけだ。
ジャイアンだって、映画ではほろりとさせる義侠心をたまに発揮するのに。
シャレにならないジャイアン的思考が世界を席巻していて、
それがスタンダードになりつつある。
『お前のものは、俺のもの。俺のものは、俺のもの。』
一国の代表がこんなこと言ってて、それを国民が支持するようじゃ、終わり。
闇は否定しません。
けれど光にも、力を。
もっともっと光を。
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