実在したポーランドの前衛画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの物語です。社会主義政権による全体主義の波に逆らい続けた一人の男が、すべてを失い、どうにもならないまま映画は終わります。
何の救いも、希望も、未来もありません。
言葉も何もありません。
どう受け取るのかは、完全に委ねられています。
ひとつ思うのは、こうなってしまったらもうどうにもならないということだけです。
マーチン・ルーサー・キング牧師の「この変革の時代において、もっとも悲劇的であったのは、悪人たちの辛辣な言葉や暴力ではなく、善人たちの恐ろしいまでの沈黙と無関心であった。」 という言葉がありますが、苦しむ画家を目前にしながら我が身を守るために全体に従う友人や、逆に自身が危険にさらされても画家を守ろうとする生徒たちなど、その人間模様もしっかりと描かれていて、同じ状況にいたとしたら自分はどういう行動をとるのだろうかと考えさせられました。そして、その中の誰も、救われません。
この映画に答えはないのです。
一人の人間がどう国家に抵抗するのか。
表現の自由を得るために、どれだけの代償を払わねばならないのか。
全体主義のなか、個人はどのような選択を迫られるのか。
これらの問題は過去のことと思われていましたが、
今、ふたたびゆっくりと私たちを苦しめ始めています。
これらに答えを出すべきか、私たちは既に知っているのです。
このことを忘れてはなりません。
アンジェイ・ワイダ 2016年、初夏
一人の人間がどう国家に抵抗するのか。
表現の自由を得るために、どれだけの代償を払わねばならないのか。
全体主義のなか、個人はどのような選択を迫られるのか。
これらの問題は過去のことと思われていましたが、
今、ふたたびゆっくりと私たちを苦しめ始めています。
これらに答えを出すべきか、私たちは既に知っているのです。
このことを忘れてはなりません。
アンジェイ・ワイダ 2016年、初夏
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