春がまだ終わって欲しくないと思う。
幸せとは何かと考えると、
それは本当に個人的なものだ。
職業で考えても、
サラリーマンの幸せと、
公務員の幸せと、
政治家の幸せと、
主婦の幸せと、
ヤクザの幸せと、
幼稚園児の幸せと、
芸術家の幸せが、
同じであるわけがないと思う。
職業で人は量れないとすると、
全人口の分だけ幸せというものがあることになる。
国で考えてもそうだ。
アメリカの幸せと、
イランの幸せと、
北朝鮮の幸せと、
とても同じだとは思えない。
もし同じだったらもう少し早く、
世界平和が訪れるだろう。
国で考えてもそうだ。
アメリカの幸せと、
イランの幸せと、
北朝鮮の幸せと、
とても同じだとは思えない。
もし同じだったらもう少し早く、
世界平和が訪れるだろう。
自分の幸せは、誰かの幸せと、
すべて重なり合うことはない。
自分の幸せが、誰かの不幸せに、
なることだってあるのかも知れない。
歓迎される幸せもあれば、
受け容れられない幸せもある。
多様性があまりない社会なら、
「みんなが幸せ」という状況もあるのかも知れない。
みんながみんな幸せじゃないということは、
ある意味、幸せなのかも知れない。
こんな世界でも、
まだ幸せについて考えることが出来るのだから。
こんな世界でも、
まだ幸せについて考えることが出来るのだから。
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