こちらのブログに書かなくなってからしばらく経ちましたが、再び書き始めようかと思います。Twitterで主な情報は流しているのですが、いかんせん文字数に制限があるのと古い情報をたどることが困難で流れていってしまうので、大切なことはたどりやすいブログの方がいいかなと最近ずっと思っていました。気付いたら、「あ、また書き始めたな」と思って気軽に読んでいただければと思います。
最近は読書にはまっています。電車の中や空いた時間になるべく何かを読むようにしています。この世にどれだけの本があって死ぬまでにどれだけの本が読めるだろうと改めて考えてます。哲学や芸術やビジネス書やノンフィクションなどジャンルは問わずに気になった本はなんでも読みながらその中にさらに気になる人や作家が出てきたらすぐに検索して借りて読みます。
最近面白かったのは、マーガレット・アトウッド『オリクスとクレイク』、久住邦晴『奇跡の本屋をつくりたい』、中村 哲×澤地久枝『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』、コリン・ウィルソン『アウトサイダー』、ヴィム・ヴェンダース『映像の論理』、ウィリアム・モリス『世界のかなたの森』、シルヴィア・プラス『シルヴィア・プラス詩集』などなど。
マーガレット・アトウッドやシルヴィア・プラス、そして今読んでいるキャロル・エムシュウィラーらの女性の小説や詩の文体に深い興味が出てきて、シルヴィア・プラスが影響を受けたというエミリ・ディキンソンという19世紀の天才詩人の書いたものをこれから読みはじめようとしています。ウィリアム・モリスもデザインの分野でもともとすごく好きな人で前に銀座で開催されていたブックデザイン展に行ったときに展示されていた平野甲賀さんによるとても美しいブックデザインの『ウィリアム・モリス・コレクション』という本のシリーズが気になっていて、それをようやく読み始めましたがこれがまた素晴らしいです。モリスが古い時代の言葉や物語を意識して書いた小説が小野二郎さんの翻訳でこちらも美しい日本語で表現されていて、もはや時代を超越した普遍的な物語として読んでいるだけで心が豊かになっていきます。
二十代の頃、福岡で活動しながら当時は今以上に映画も演劇もアートも何もかもいいものは東京でしか見られない状況だったので、その中でどうやっていいものに触れていけばいいのだろうと考えたときに思いついたのが本でした。多少発行が遅れたとしても東京では読めるけど福岡では読めない本というものは映画や演劇に比べたら少ないだろうと考えて、映画も演劇も芸術もとにかく本を読んでどんなことをやっていたのだろうと空想し続けていました。空想でしかないので実物とはどこかずれていて、でもそのずれが自分のオリジナルになりました。今はネットのおかげで昔ほど情報にずれがなくなってきているのかも知れませんが、逆にずれにくいというのはものづくりにとって面白みが欠けることなのかも知れません。
本は開いていても読まない限りその世界は存在しません。読んだとしても言葉の捉え方で読者の中に生まれるものがまったく変わってきます。存在しているものを眺めていることはできなくて、どうしても読まなくてはなりませんし、読んだ言葉を自分の内面で変換し続けなければ読んだものを受け取ることができません。時にはそれが苦痛であることもありますが、そこを通り越さない限りは読書の喜びに到達することはできません。
生きることは読むことだという覚悟のもと、死ぬまでにあと何冊読めるか分かりませんがとにかく読もうと思います。
Twitterじゃこんなに書けないから、久々に書くと楽しいな。一年ぶりの投稿です。
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