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2021年12月16日木曜日

新たなインサイドを築くこと。 〜コリン・ウィルソン『アウトサイダー』より〜


コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を読みながら常に考えていたことは「アウトサイダー」に対する「インサイダー」の存在についてでした。まずアウトサイダーが存在するためにはインサイダーの存在が必要不可欠で、それも圧倒的多数のインサイダーが存在しなければアウトサイダーはアウトサイダーたり得ません。アウトサイダーが資質の問題だったとしても、そのアウトサイダーの数が圧倒的多数であればはじき出されるのはインサイダーの方であり、はじき出された時点で今度はそのインサイダーがアウトサイダーとなり、はじき出したアウトサイダーたちが今度はインサイダーとなります。インサイダーとアウトサイダーはひとつのインサイドを奪い合うことで入れ替わることが可能なのです。過去の革命の歴史はいつもそうでした。そこでもっとも重要なことはインサイダーとアウトサイダーが存在するためにはまずその前提としてインサイドが必要だということです。そしてその内と外を分ける壁が厚ければ厚いほど、強固であれば強固であるほど、その境目ははっきりと明確になってきます。しかし、現代においてそのインサイドとアウトサイドを分ける壁というものは果たして存在するのでしょうか。「自分はインサイダーである」とはっきり自覚できる明確なラインというものは存在するのでしょうか。この『アウトサイダー』が書かれた1956年当時はまだその境目が存在していたのかも知れません。しかし現代はもうその壁が消滅してしまっていて、いわばほとんどの人間が「アウトサイダー」として荒野に投げ出されている状態なのです。先日見たグランマ・モーゼスの絵にはかつてのインサイダーたちが生き生きと描かれていました。共同で農作業を営み、みんなで集まってキルトや蝋燭を手作りしてそれらを分け合い、その仕事だけで一日が過ぎていった時代。恐らく当時はそのような共同体の催しに参加するかしないかで明確にインサイダーとアウトサイダーが分けられたはずです。共同体に参加しなければ生きていくことが困難になるという意味でアウトサイダーの数は少なかったはずですし、その数少ないアウトサイダーたちが迫害されたり困難にぶつかる様も容易に想像できます。そこまでしてアウトサイダーとして存在しなければならなかったアウトサイダーたちにはそれ相応の理由と引き受けた運命というものがあったはずです。しかしそこにあったインサイダーとアウトサイダーの間の明確な壁は、19世紀の産業革命によって変化させられた社会の中でどんどん薄く低くなっていき、今や消滅してしまったのです。産業革命の大量生産によってそれまで共同体で力を合わせて生産していた生活必需品はほとんどすべて機械の力で生産されるようになりました。そこでまず共同体の必要性がなくなり、アウトサイダーであってもその品物を買うことさえできれば簡単に生活できるようになったのです。労働力は生産される物ではなくお金に変換されるようになり、物を生産しない者もお金を使ってその物を手に入れられるようになったのです。そしてかつてのアウトサイダーたちは大きな自由を手に入れました。そして存在価値を失ったインサイドからインサイダーたちがどんどん流出していき、壁はどんどん薄く低くなりいまやその存在の痕跡を見つけることすら困難です。グランマ・モーゼスは言っていました。共同体の中で必要とされる仕事をしているだけでいつの間にか四季がうつろって時が過ぎ、貧しくて時には大変なこともあるけれど、みんなと協力しあってその困難を乗り越え、いつもただそこにいるだけで幸せだったと。現代には恐らくこのようなインサイダー的な幸福というものは存在しないのではないでしょうか。すでにすべての人間が荒野に、アウトサイドに投げ出されているのですから。エデンの園から追放されたアダムとイブのように。ひょっとするともう神さえインサイドにはにいないのかも知れません。人々を区別するのは手に入れるお金の量だけであり、しかもそのお金が安心なインサイドを築いてくれるわけではないのです。人間はかつてのインサイドの感覚を求めながら、地球上すべてを廻り、宇宙を廻り、精神世界を廻り、それでも見つからないインサイドの感覚を求めて右往左往、漂流し続けています。どれだけお金を手に入れて立派な家を手に入れ、分厚い壁でインサイドを築いてみても、やはりそこはアウトサイド。インサイドがもはや存在しない永遠のアウトサイドに自分たちは生きているのです。その永遠のアウトサイドの中でどのようにしてアウトサイダーがアウトサイダーとして屹立するのか。むしろ新たなインサイドを築くことがこれからのアウトサイダーの仕事なのかも知れません。

2021年12月13日月曜日

蜜柑の季節


最近、旬なのかあちこちに蜜柑がなっています。散歩コースの川辺に生えてる蜜柑の樹にも今年も実がたくさん。

こないだひとつもいで家で食べたら最高に美味しかったので、今日はふたついただきました。

甘いものが欲しくなるのはビタミンCを身体が欲しているから。


大昔、人類はビタミンCを果物から摂取していたからその名残で今も脳がビタミンCが欲しいときは甘いものを欲しがるように命令してくるそうです。


だから本当は甘いものが欲しくなったらお菓子ではなく果物を摂るのが一番効率的ということらしいです。


だから今日も蜜柑を食べます。

2021年12月8日水曜日

監督作『凹/eau』名古屋・大須シネマにて上映!



12月20日(月)19:40より監督作『凹/eau』が名古屋の大須シネマにて上映されます。


日本全国の映画祭の特集上映で『凹/eau』は那須ショートフィルムフェスティバル2020入選作の一本として選ばれました。

大好きな大須商店街の素敵な映画館での上映、とても楽しみです!
詳細は映画館HPにて後日発表されます。
ぜひ足をお運び下さい!

大須シネマ⇨osucinema.com

2021年12月7日火曜日

Nezura 1964 (2020) Review & Premiere | ネズラ1964

出演作である横川寛人監督の映画『ネズラ1964』がMONSTROSITIES Tokusatsu VlogのYouTubeページ『Nezura 1964 (2020) Review & Premiere | ネズラ1964』にて紹介されています。


出演者でもあるノーマン・イングランドさんが詳しく話して下さってます。
英語なのですが写真や映像がたくさんなので言葉が分からなくても楽しめます。
どうぞご覧下さい!

2021年12月1日水曜日

マックス・フリッシュ『アテネに死す』



 先日のラジオ配信『バストリオの間』でも紹介したマックス・フリッシュの『アテネに死す』。

バストリオの間⇨https://youtu.be/yrTPgFERuAM

序盤はずっと中南米でいつアテネに行くのかと思ってましたが旅しながらちゃんとアテネへ。語り口にぐいぐい引き込まれて一気に読みました。サム・シェパードの語り口に共通するかっこよさがあります。

最近海外の小説を読みながら気になるのは翻訳者の技術についてです。作者の原文の文体は翻訳者の翻訳の文体にどのような影響を与えているのか。結局、自分が読むのは翻訳された日本語の文章を読んでいるので、自分が感じている文体のかっこよさはどこから来ているのだろうかと、翻訳に強い興味を持っています。