『10000枚の絵を描けば、君も画家になれるよ』とピカソは画家を目指す日本人の若者に言った。単純に数で言い表すピカソのこういう表現は大好きだ。
ああだこうだ言う前にひとつでも多くのものをつくること。たまたまひとつだけつくった人が永遠に残る名作をつくるのと、10000作つくった人がひとつだけ永遠に残る名作をつくるのとでは同じひとつだけとしても、自分は後者の方が好き。大好き。
画家は10000枚。では映画は?10000本?そんなに映画を撮れた人がこの世にいるのだろうか。例えばあと40年生きるとして、10000本取るためには一年に250本の映画を撮る必要がある。年間250本なんて見るだけでも大変なのに、撮るとなると1.5日に一本のペースで撮り続けても間に合わない。果たして可能なのか?
しかし、『あと40年生きるとして』と簡単に書いたけれども、もし一年後にポーンと車に跳ねられて死んだとしたら、今時点で自分の寿命はあと一年ってことになる。もしそれを知っていたら、今、自分はどんな風に生きているだろうか。その生き方と、今の生き方に差があったりするのだろうか。
幸いにして、今その差はないように感じる。自分の力で何とかなることに関しては、最大限やっているから。でもきっとまだやれる。
10000本とはいかずとも、少なくとも1,000本は撮ってみたい。
それでも年間25本。どうだ?無理か?
だったら何本なら撮れる?
何本なら撮れるんだ?
2016年11月12日土曜日
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