2016年11月5日土曜日
京都を歩いて考える。
京都の街を歩くと、いい建物が多いが故にその隣にある何も考えていないコンクリートの固まりを見てがっかりすることが多い。『その建物の隣にこんなの建てて何とも思わないの??』って不思議で仕様がない気分になります。東京ではほとんど全ての建物が『ただのコンクリートの固まり』なので気にならないのですが。東京はある意味、その統一感がある街なのですね。美しいものからぶち壊し醜いものをわざわざ建てる、世界にもなかなか例のない面白い街です。ルールのまったく存在しない世界一アナーキーな街。すごい。
しかし、確かに耐震構造とか使い勝手を考えると現代的にならざるをえない、素材も変わらざるをえない、というのは分かります。分かるけれども、せっかく日本の昔の建築家が持っていたこの美意識をここまで捨て去ってしまってどうするのだろう?そういうことを考えた建築家は日本にはいなかったのかなと思いながら歩いていたら、いい感じの寺町にどーんと存在感のある建築物が登場しました。その前に立っていた看板を何となく見ると、今まさに考えていたことの答えがあり、そういったことを考えていた建築家に出会うことが出来たのです。
その建築家の名は伊東忠太。その考えは『建築進化論』。
詳しくは写真の看板に書かれてある通りなのですが、『日本建築の木造伝統を進化させる』という彼の考えは、今の日本の建築にとって非常に重要だと考えます。
今の日本には『建築家』と呼べる人はほとんどいません。
一人くらい、京都の重要文化財の隣に雰囲気ぶち壊しの建物を造ろうと注文してきた雇い主に、隣にある建築物の重要性を教え、その隣にあるに相応しい建築物を啓蒙して建てさせるくらいの人はいないのだろうか。建物が美しくなれば、人の心にもいい影響を及ぼし、その建物自体も大きな財産になるというのに。
その点、中国の烏鎮という街の存在感は圧倒的でした。
ひとつの企業が美しい景観を残した村をまるごと買い取り、保存し、管理し、ひとつの桃源郷を完全に表現しているのです。東のヴェニスと呼ばれる美しい街を。こうした心あるお金持ちのちょっとした粋なはからいが、人々を喜ばせるユートピアをつくり出し、かつたくさんの人を集める大きなビジネスになっているのです。中国のお金持ちは圧倒的に豊かですよ。
お金の多い少ないが豊かさの尺度ではないのです。豊かな心がお金を扱うから、その豊かさをさらに多くの人に分かち合うことが出来るのです。そしてまた多くの人が豊かになっていくのです。日本には豊かな心を持ったお金持ちはもういません。悲しいことですが。けれども、今、お金を持っていなくても豊かさを持つことは出来ます。その豊かさを持てば、『貧しさ』はどこかに消えていきます。
京都の江戸時代から続いている美しい建築物の隣の土地に建物を建てる権利を手に入れたとき、あなただったらどんな建物を建てるでしょうか。
街の未来は本当に、私たち一人一人全員に責任があるのです。
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